こんにちはずぴーです。
今回は白石市にある「神明社(しんめいしゃ)」に行ったのでそのことを書いていこうと思います。
神明社は伊達政宗や片倉小十郎も信仰した、白石城下町の総鎮守として知られています。
そんな神明社の歴史や見どころ、そして神社と「米」との深い関係について、写真とともにご紹介します。
白石を訪れたら、ぜひ立ち寄ってほしいパワースポットのひとつです。
神明社とは?
神明社(しんめいしゃ)は、宮城県白石市の中心部、白石城の北側に位置する神社で、長い歴史と地域との深い結びつきを持つ由緒あるお社です。
神明社とは、伊勢神宮の神様を勧請(かんじょう)して建立された神社の総称であり、全国に数多く存在しています。
その創建はなんと大同2年(807年)。東北征伐を行った坂上田村麻呂によって勧請されたと伝えられています。その後、時代ごとに多くの有力武将の崇敬を受け、白石城の築城とともに城下の総鎮守としての役割を担うようになりました。
特に、伊達政宗公が白石を手中に収めた際、重臣である片倉小十郎景綱が白石城主となったことで、神明社も片倉家の厚い庇護を受け、現在に至るまで地域の人々から深く信仰されています。

ご祭神は、日本神話における太陽神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)。加えて、白石の歴史に大きく関わる伊達政宗公と片倉景綱公も合祀されており、地元ならではの信仰の形が見られます。
また、境内には学問の神様として知られる菅原道真公を祀る「天満宮」もあり、受験シーズンになると多くの学生や保護者が参拝に訪れます。
古くから「米」を最も大切な神饌(しんせん/神様へのお供え物)とし、稲作の恵みに感謝する神事も大切にされており、春・秋の例祭、新嘗祭などを通じて地域の暮らしと密接に関わってきました。
白石神明社は、白石の歴史・文化・信仰が凝縮されたような場所。静かな境内で心を整え、かつての城下町に思いを馳せながら、深呼吸したくなるような神社です。
参拝
まずあるのが石の鳥居です。
雨風にさらされて鳥居は風化していましたが、かえって厳かな雰囲気が増しているように感じました。

鳥居からなだらかな階段を登っていくとあるのが手水舎と三荒神社です。
三荒神社はちょっと調べても分からなかったです。


手水舎で清めて歩を進めるとあるのは木製のもう一つの鳥居です。
先ほどの石の鳥居とは違い、やや黄色みがかった温かみのある鳥居です。

奥には社務所と神社山門が見えます。
神社山門は、単なる門ではなく、伊勢神宮の第60回式年遷宮で解体された「内玉垣御門」の一部を下賜された貴重な歴史的建造物です。
伊勢神宮では20年ごとに式年遷宮が行われ、その際に古くなった社殿や門が解体されます。解体された部材の中から、ゆかりのある神社に譲られるものがあり、白石神明社はこの山門の一部を授かりました。
神社山門をくぐると左右に狛犬や石灯篭が見られます。
狛犬はオーソドックスなかっこいい狛犬さんですね!


そして、正面にあるのが社殿があります。
社殿は神明造と呼ばれる造りで神社建築の中でも最も古い形式のひとつと言われています。
この屋根の感じが豪華でなくても格式ある雰囲気を感じられます。
参拝すると清らかな気持ちになりますね!

境内には益岡天満宮(ますおかてんまんぐう)があり、学問の神・菅原道真公も祀られています。
受験期には白石周辺の学生もお参りに来ていることでしょう。

さらに、小さな社が静かに佇んでいます。これが「不忘山稲荷(ふぼうざんいなり)」です。
本殿からやや離れた場所にありながら、訪れる人々の足が自然と向かう、どこか温かみのある空間です。
不忘山稲荷は、宮城県白石市と山形県の県境にそびえる不忘山(標高1705m)の名を冠した稲荷社で、五穀豊穣や商売繁盛、家内安全、火防(ひぶせ)など、生活に根ざしたご利益があるとされ、地元の人々から長く信仰を集めています。

まとめ:静寂の中に歴史が息づく、神明社の魅力
白石城のほど近くにたたずむ神明社は、ただの歴史ある神社ではありません。伊勢神宮との深いつながりを感じさせる社殿や神社山門、神明造ならではの静謐な美しさ、そして地域の暮らしと寄り添ってきた不忘山稲荷など、神聖さと親しみやすさが同居する場所です。
白石を訪れた際には、ぜひ白石城とあわせてこの神社にも立ち寄ってみてください。華やかではないかもしれませんが、その分、心が整うような穏やかな感覚が得られるはずです。
神社の奥に広がる白石の歴史と人々の祈りに、そっと触れてみませんか。